« 2006年8月 | トップページ | 2006年10月 »

2006年9月

嬉しいこと

 嬉しいことがまたひとつ!今日は、我が家の生長の家のヤングミセスの集い(既婚女性の夫婦や子育て等についての勉強会)にいつも参加してくださる近くの方が、ご自宅で集いを始められました。彼女はご主人から生長の家をすすめられ、もう生命の実相も40巻よまれているし、熱心に練成会(泊まりで勉強する会)にも参加されている方です。私はあと2年でヤングミセスを卒業して集いが開けなくなるけれど、彼女のような方が新しく開いてくださる。ちゃんと続いていくことがとっても嬉しいです。 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

からあげにチャレンジ

Img_ 高野豆腐でからあげを作るレシピを友人に教えてもらったので、チャレンジしてみました。味見すると、「おおっ!これは“からあげ”だわっ)^o^(」と感動。 

夕食時、子ども達に食べさせながら

私:「ねえねえ、おいしい?」 

長女:「うん!」

私:「それ、何だと思う?」 

長女:「え!?・・・・・」(じっとみる)

私:「高野豆腐だよ~ (^O^)v」

長女:「うっ・・・味がかわった。やっぱ豆腐だわ」

私:(しまった・・・・・いわなきゃよかったかも~)

食事やその味というのは実は食べる人の心が作るものなんですねえ。作るのをみていた二女は、「おいしいけど、う~ん・・・」と箸が鈍るのでした。(笑)豆腐を凍らせて、解凍しても、からあげに向いているそうなので、今度はその手でいこうと思います。何も解説せず、さら~ら~と、だすことにしよう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

生きることと死ぬこと

昨日、私が若い頃からお世話になり、どんな私も素晴らしいと認めてくださってきた先生の奥様がお亡くなりになりました。私は奥様も大好きで、子ども達も気にかけ可愛がって頂いていたので、とても寂しく感じています。

そういう感情があるのは確かなのですが、同時に荘厳な気持ち、人生の不思議を感じています。お亡くなりになる数週間前、電話でお話ししたときに、奥様はこんなことをおっしゃっていました。

身体が不自由になった主人の事を、私の方が離せない気持ちでいたのだけれど、今回自分が腰を痛めて、動けなくなったお陰で、夫婦でどうやって死を迎えるか、冷静に話しができたのよ。だからね、もう安心なの。大丈夫なのよ。と・・・・。

主人の思うように、といつも一所懸命だった奥様。買い物から帰って、ちょっと気分が悪いからと横になられてそのまま、昇天されてしまった奥様。

不自由なお体でも、コトバが充分にでなくても、変わらず私も含めて沢山の人を褒めて元気づけている先生。

介護される先生からも介護する奥様からも沢山の事を教えて頂き続けています。

死は人生の収穫だと尊敬する谷口雅宣先生はおっしゃっています。うまく表現できないけれど、奥様が死をもって教えてくださったことをちゃんと受け止めて、生きていきたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

バザーの準備 その2

バザーの為にうち合わせをしました。当日手伝ってくれるのは、私からみたら20歳近くも若いママさんと独身女性。

「だいたい、主婦にならいいけどさ~、エコグッズなんて若い子は興味がないよ~」と率直な意見を頂いて、「そうだよね~、だから、これを機会にまずあなた達に考えて欲しいし、勉強して欲しいのよ。そうしたら絶対必要だって思うから!それに、ママがこういう事にとりくんでいる姿を見せるだけで、子供さんにとってはとっても大切な機会にならない?」とお願いしてみました。

でも、確かに、重曹も、花の種も、石けんも、主婦なら関心をもてるかもしれないけれど、若い子達には、取り組みにくいものですよね~。

若い人でも「使ってみようかな~!」と思える品物って、なんだろう・・・?

私は今封筒や祝儀袋・ポチ袋を作っています。お友達の家が和菓子の箱の工場をやっていて、そこでは和紙を裁断したのこり紙が廃棄物になるので、それを沢山頂いて個人的に封筒やポチ袋を作っていたので、これなら使えるのでは!?と思ったのですが、やはり、これも主婦の発想ですよね。 そうか~、だから、彼女達にスタッフになってもらったんですよね。再度お願いしてみよう! Photo_8 Photo_9

| | コメント (7) | トラックバック (0)

肉なしどんぶり

昨日長々と書いた、肉なしメニュー。大豆製品(肉もどきと勝手に我が家で呼んでいます)でどんぶりを作りました。お味は初めてなので許してね、という感じです・・・^m^

Img_1650 でも、作ってみて、別にもどきをいれなくてもちくわで充分ではないか!と気が付いたちょっと的はずれな私。大先輩のブログにのっていた肉もどき、はとっても美味しそうだったので、今度は、肉がないと寂しい!と感じるようなメニューでチャレンジしてみます。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

肉食から菜食にむけての練習

お恥ずかしい話ですが、私は中学生になるまで、野菜類は殆ど食べられませんでした。ものすごく偏食が激しかったのです。幼稚園では、毎日パンにおかずを全て挟んで家に持ち帰り、親にも内緒でそっと捨てていました。小学校では、給食の時間が地獄で、掃除が始まってもいつも食べている子供でした。嫌だと思うとウっと吐き気がするのです。そんな私が中学生になり、弁当を作ってくれる母は大変だったと思います。丁度その頃生長の家に触れ、肉食よりは魚、魚よりは野菜の方が、相手に痛みや苦しみがないから毒素もまじらずよいのだと知りました。肉食をしていると短気になるのだとも。「だから私はこんなに短気なんだ~!」と自分が好きでなかった私は納得しました。だからといって、すぐ食べられるようになった訳ではありませんが、合宿形式で教えを学ぶ「練成会」に参加すると、食事にあれこれ文句をつける訳にはいきません。さらに、自分が小さい子のお世話をするようになってからは、食べられない子の分まで食べてあげるのがお世話係の役割でもあったので、少しずつ、食べられるものが増えていきました。まさになさけは人の為ならず。誰かの為にやっているうちに、結局私の偏食も段々よくなっていったのです。

 結婚して、さすがに料理に野菜を入れない訳にはいかないので、やきそばを作ると、同居の祖母と主人に沢山野菜を入れて、私の皿は麺ばかり!というような配膳をしていたものです。(笑)

 そんな私でしたが、肉食が自身の健康の為に悪いばかりでなく、世界中の穀物の3分の一ほどが家畜のえさとなり、それを私達先進国の人間が食べている事実。その反面で食べるものがなく何秒かに一人がなくなっていくことを教えて頂き、愕然としたのです。一番衝撃だったのは、「世界中の2割の人間が、8割の資源を使っている」こと。つまり現在問題になっている環境問題の原因の8割は、2割の先進国の人達にあるということでした。日本人の殆どはこの2割に入りますよね。「私の当たり前だと思っていた日常生活・食生活が知らず知らずのうちに誰かの国を海に沈める事に手をかしていたのか・・・」と愕然としました。でも、同時にこの2割の人が生活を改善していったら、問題の8割は解決していけるではないか!とも気付いたのです。そして、生長の家では全ての人・モノ・事への感謝を教えられていて感謝しているつもりだったけれど、実際の生活は感謝からは遠いかもしれない!?と。

 安いから!と100円均一ですぐ壊れるモノを買うことはモノを粗末に扱っていることになるんだ~! 少しくらい高くても近場の野菜を買った方が輸送費もかからず、CO2も少なく、新鮮だ!賞味期限の古いもの、手前のものから買っていけば、最後に残ってゴミになる食べ物を増やすことがなくて、環境に優しくなるんだ!などなど、いわゆる「賢い主婦」のすべきこと、だと思っていたいろいろな事をもっと大きな視野から見直す機会を与えられました。自分の家庭の財布の大きさで物事を考えるとできないけれど、国の税金も、地球の環境も、自分の財布?の中に入れて考えたら、生活スタイルを変えることを、苦痛とは思わなくなりました。そこから得たものは書ききれないくらい沢山あります。

 ちょっと話がそれましたが、そんな私にとって、肉を一切使わない事は、自分自身の食生活からいって、ちょっと高いハードルだったのです。まず、牛肉はかわない。そこからスタート。次に豚肉を鳥肉に変えてもよい料理は変える。そのせいか、我が家の子ども達は外食すると、ステーキを食べたがりますが、子供に強制するより、私自身がやることが大事だと思うので、それは無理にはいいません。(魚や野菜の方がいいんだってよ~という話はします)

そして!今夜!なかなか手をつけられなかった「大豆でできた肉もどき」をやっと初めて作ってみました。

(これが書きたかったのですが、延々と前書きになってしまいました。)できたらカメラで撮ろうと思っていたのに、ついうっかり食べてしまったので(;^_^A 主人の分をもう一度作った時に撮影して、明日にでもアップしたいと思います。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

夫を拝む

今日はリーダー勉強会に行ってまいりました。

そこで、一番心に残ったコトバは、

「夫を拝むのは、財産を拝むのでも、才能を拝むのでもない。能力を拝むのでもない。その奥の神性を拝むのである。『夫の・・・』とついたものを拝むのではない。神のいのちを拝むのである」

です。主人はとても優しい尊敬できる人で、でも、私はそうしてくれる主人が好きなのであって、そうでない時はせめてばかりいたし、息子に対してもそうだったと、またもや気がつかされました。「良い夫」にありがとう。というのは、当たり前。相手がどうであろうと、奥にあるホントウのその人を拝む、そういう生き方を、これからはして参ります。(と決めてコトバにすると実現するから、私は毎日のように決意をします)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

多用な日々

「忙しい」と心が亡くなるから、「多用」と言いましょう!と教えて頂いてから、忙しいと言わないように、心がけています。が、気がつくと、とっても忙しそうにしてしまう私。まてまて、楽しもうよ!と語りかけるのでした。

 さて、その多用な今日。午前中は生長の家の日曜学校である生命学園の司会の当番なので、9:00には教化部へ。お昼に終わり、午後からは中高生の誌友会(勉強会)が入っています。そこに参加する盲目の高校生の子を、会場のお宅まで送っていき、ついでに我が家の中学一年の長男も参加しているような(していないで横でゲームをしているような状態)で参加。さらに下の2人も参加させて頂く。(こちらの方が2年生なのに輪読会に参加します。音読は上手だと、親や先生から褒められているので、輪読というと自分からやりたがるのです。我が家で開催している大人の誌友会でもちゃんと本を読むときは参加します。褒めコトバの威力は素晴らしいです)

 その間に私は、子ども会の運動会の打ち合わせの為、小学校へ。打ち合わせ途中で抜けて、子ども達と高校生の子をお迎えにいかないといけないな~と、思っていたら携帯がなり、予定では、誌友会にこれないはずの方が参加され、車で高校生もうちの子達も送ってくださるとの事!なんともありがたい助っ人登場でした~。

 一所懸命やるというのは、歯をくいしばって、目をぎらぎらさせて頑張る事ではなく、もっと自由で心の奥底が喜んでいて、どんな事が起こっても、さらさらと、す~っと全てを受け止めていくことなんだな~。私もそのようにしよう。そういつも自分に言っています。まだできないけど、でも言い続けること、すべてが練習で、しつづけていけば、必ずできる自分になっていくのだ! そうやって、ちょっと多用で、すぐ心が精一杯になってしまう自分に、もう一人の自分が励ましのエールを送っているのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

バザーの準備

Photo_6 生長の家の教区大会で、エコバザーを開催する予定で準備中です。バザーを開催する時に困るのは、「売れ残った品物をどうするか?」これは、保育園の時も役員の悩みの種でした。でも、生長の家は全ての人・物・事に感謝して生きる教えだし、今回のテーマは、「環境」なので、その主旨からはずれたバザーはしたくないのです。残った品物がゴミになるのでは、エコバザーとはいえないですものね。そこで、品物は、残っても子持ちのお母さん達に差し上げる事のできる、子供服か、売れ残ったら持って帰って頂けるモノ(出して下さったご本人が)としてみました。それから、廃油から作った石けん・重曹・手作り雑巾など。

私は、自宅で緑のカーテンとなっている、ふうせんかずらのタネを、使用済み封筒に入れて、簡単な育て方を書いたものを作ってみました。一袋25粒ほど入れて、20袋くらい作れそうです。作っていると緑のカーテンが来年は20倍に増えるような気持ちになって、嬉しくなります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

おくら

180824 夏休み前、学校からおくらの苗を子供がもらってきたので、大葉と一緒に植えたら、やっと2つ実がなりました。「お母さん、おくらの花が咲いたよ」「おくら見にいこう~」と言ってくれる3年生の娘と、ゆでてからベーコンを巻いて焼いて食べました。いつもはおくらなんて食べないけれど、今回は特別です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

読み聞かせ・・・?

生長の家で知り合った友達に、盲目の高校生の女の子がいます。毎月中高生の勉強会で皆で勉強する「理想世界誌ジュニア版」という雑誌があるのですが、彼女は自分で読むことができないので、2年前くらいから毎月、テープに録音して送ることにしています。夜、寝しなに子ども達に読み聞かせながら録音するのですが、いつも、読むと感動する所がいくつかでてきます。昨夜は特に、じ~んと涙が溢れてきた一節がありました。

「あなたは正しいかもしれない、しかし間違っている。あなたは最善を尽くしたかもしれない、しかし間違っている。あなたは人を非難する、しかしあなたもどこか間違っている。正しいだけが全てではないからだ。

 最善を尽くすということは、一生をかけてこれからやることだから。生まれかわって出てきてやるのである。さらに又何回も生まれかわって修行する、それが人生というものだ。人を非難するには、その人の全てをしらなければならない。しかしそれは実に難しいのである。その困難をまだ克服していないからだ」

 たとえ良くしようと思って言った事でも、非難したら、良くはならない。本当に相手の全てを知ったら、非難しようなどという気持ちにはならないはずですね。もっともっと、大きく、誰も責めず、良いところだけを認めていこう、そう決心した夜でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年8月 | トップページ | 2006年10月 »