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難聴

ヤングミセスの集いに来て下さった先生の息子さんも、左耳が聞こえないのですって。

私は右が聞こえない。一緒ですね~としばし難聴について語り合ってしまいました。

不便だな~と思うのは、電話の時。電話中に横から話しかける家族に「だから私は聞こえんのだって!」と怒鳴っていました。片耳が聞こえないと電話の時、周囲が静かでないと、どちらの言っていることも聞こえにくい。そう言っているのに、すぐ忘れて話しかけてくる母に怒っていました。

あと、誰かの左側にいるとき。内緒話しをするには、内緒話でなくても、くるっと顔をひねって左耳をそちらにむけないと聞こえない。小さい頃からそうしていたので、別に普通だと思っていたけれど、最近は変だとやっと認識して、やらなくなって、すると、結構聞こえない。(;^_^A

本格的に困ると思うようになったのは短大生になってコンパに行ったとき。ざわざわした中で、みんなの会話がよくわからない。「え?」と聞き返せるのも2回まで。それ以上は恥ずかしくて、雰囲気を読んであわせるしかない。コンパって疲れるな~と思ったけれど・・・でも別段難聴のせいだと思わなかったな~。

よく偏頭痛がすると、母が「この子は片耳が聞こえないので神経をつかうんです」と弁護?してくれるので、お母さんって、自分の子なのに人前でかばわんでも、なんて思っていました。

私は繊細だと思ってたけれど、こと耳の事になると鈍いのか、周囲の人に恵まれたのか、不便だと思っても、だから人前に出られないとか思ったことがないのです。

難聴だったので、私の声は大変大きい。はっきり話せる。自分が聞こえづらいから、自然にそうなりました。

聞こえないから、誰かが話をしている時は、目かその人の口をみます。聞き取りやすくなるため。それは、結構相手の方には良い印象を与えるようです。

飲み会の際の対処としては、聞こえないことをちゃんと話して、飲み会の席はとにかく右側にしてもらうようにしています。

先生の息子さんは、「お母さんにはわからない。つらい。どうせなら両方聞こえない方が他の人に障害がよくわかって楽なのに、片耳ではわかってもらえないし、自分から聞こえないといえない」と涙をぽろぽろ流されるそうです。最近、意外と不便だな~と実感してきた私は少しだけわかる。でも、同時に私がいかに楽に、難聴をあまり気にせずに、今まで生きてこられたかもわかりました。

彼は難聴である自分を出せずに、今苦しんでいて、私は難聴はそれほど大問題でなく、もっと他のことが気になって仕方ない。

何が苦しみかは、やはりモノや事にあるのでなく、心にあるのですね。

きっと彼も乗り越えられる、時間がかかっても、乗り越えるまでにかかる道のりが長ければそれはそれだけ、他者への深い優しさになるからそれでもいい。

色々な部分で先生と心がシンクロするお話しで、何故か楽になりました。

ヤングミセスの集いってやっぱりいいなあ~

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

私も難聴にはびっくりでした。いつも明るくって感じがよくって元気いっぱいのうっち~ままさんからは、とてもそんなことは感じられませんでした。「不自由に感じなかった」という所に、自然とそのままを感謝して受け入れて生活しておられたこれまでの生活ぶりに感動しました。

投稿: きよん | 2007年8月27日 (月) 13時14分

ゆきえさん
>全てたのしいレッスンだね。

ゆきえさんにそう言われると、ホントだ!そうだ!って湧いてきます。頭ばっかりわかってて、楽しめない自分になさけなかったり、イライラすることがこのごろ多いのですが、それもこれも、大事な生長のミチ、ですね。

投稿: うっち~まま | 2007年8月22日 (水) 08時04分

全然、知らなかった。

うっちーママのキラキラ、イキイキエネルギーは、難聴さんと和解して自然にステキな雰囲気をかもしだしていたのですね。 素晴らしいなあ。

同じ課題でも、その人の個性で、成長過程が全然ちがうね。

全て、たのしいレッスンだね。 永遠に続く生長のミチ。キラキラだよ。

投稿: ゆきえ | 2007年8月20日 (月) 23時52分

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