信仰

悲しみの奥にある聖地

・・・という題のashikabi様のブログで紹介されていた、竹内芳美さんのブログに感涙いたしました。

読ませていただいているうちに、涙とともに、様々な心の表面につもった汚れがさらさらと流れ落ちていくようでした。

今、与えられている

うまく表現できない自分がもどかしいのですが、誰かに伝えたいと思い、

ashikabi様、竹内様の了解を得て、ここにリンクさせていただきます。

ahikabi様のブログ

http://ashikabi.cocolog-nifty.com/blog/

竹内芳美さんのブログです。

http://here.3rin.net/


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自分がやろうとするからだ

沢山のお役が重なると、

肩がこる。疲れる。重い。

そんなふうに感じるのは、

自分がやろうと思っているから


あれとこれとこれとこれと、あれもやってこれもやって、

そう、考えるから




私がやるんじゃない

私はだただたさせていただくだけ

ひとつひとつ、今すべきことを、丁寧に

楽しもう

沢山の仕事を先の先まで頭で考えて、くるくるくるくるするよりも、

「今」

「今」

大丈夫よ

生かされている、私なんだもんね。

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毎日がすばらしい体験

今夜、電話がかかってきました。

父親の役割、というテーマで取材するひとを探しているそうでございました。

主人が取材を受けるかどうかはわかりませんが、

いろいろあちらから聞いてくださることに、返事をしている主人の言葉を洗い物をしながら耳をそばだててきいていました。

で「じぃい~~ん。」weep となるうっち~・・・




「40歳までは全然家にいられなかったので、妻まかせでした」

・・・・(私の心の声)確かにいなかったけど、私の話は沢山きいてくれたんですよ。

「ほとんど遊んでやっていません」

・・・・ちゃうちゃう、私は全く遊んであげなかったけれど、家にいるときは、いつも遊んであげてたよ、アナタ。

たぶん、思春期にはいった子供たちが煙たがったりしないかというような質問だったのだと思いますが。

「全然そんなことはないです。私がいないときに妻がお父さんのことをよく言ってくれるので」

・・・・・あくまで私を持ち上げてくれるのね貴方。(嬉涙)

なんとなく照れくさくて、

「隣で私がきいてるからね~」などと、言っていましたが、主人はそういう人なんです。


電話を切ってから

「体験なんて何もないしなあ(何もないと答えたらしい)」というので、

「ええ~?、だって、たあくんの喘息も完治したし、まあくんだって、すごくかわったし、全部生長の家のお陰だと思っているよ」というと、

「そう言い始めると毎日全部だもんな」といいます。

そうか、う~ん、その通りだ・・・・・

毎日体験じゃないか

なんてありがたいんだろう~。

やっぱり貴方はすごいよ。うん、すごい。

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今年のテーマ

知っていたけれど、改めてが~んとしたお話しです・

今はお亡くなりになりましたが、

徳久先生がまだ岡山医大におられたじぶん

医大の研究室に勉強しておられて、自分の家から、岡山医大の研究室へいくのに自転車にのってでかけていくのですが、自転車にのるのは、これは手段だと思っていられた。

「今」を生きているんじゃあない。

研究室に行くために自転車にのっているんだ。自転車に乗っているのは研究室にいく手段。でも、研究室にいったら、研究するのが目的でなくて、これは、博士になるのが目的である。そうして、博士になったらどうするかというと、医者がよくはやって、金がもうかる。金をもうける手段に博士になるのである。金をもうけたら一体何をするのであるかというと、お妾でもこしらえるのである、という訳である。

(・・・・お妾さんは冗談でしょうけれど(^^;))

勉強するのも、博士になるのも、金を儲けるのも、皆、手段である。手段、手段、手段、という生活には、「今」がない。

「今」がすなわち生活で、「今」の中に永遠のいのちが生きている



徳久先生は、そう、気付かれてから、自転車にのって研究室へいくときも、前と世界が変わってしまったそうです。

前にはどんなに美しい景色が展開していても、ただ、しゃにむに自転車をこいでいるだけであって、そりゃあ手段であって、学校へいくためであった。「今」そこに展開している極楽浄土の状態を味わう心がなかった。

ところが、心が一転すると、「今」ここに、展開している極楽浄土が味わえるようになった。


美しい山々の曲線、白い雲のたゆとうている風景、美しい樹木の葉、みどりの葉が揺れている。それがみんな美しく、自分の為に展開してきて、世界というものはこんなに美しいものである。ということが本当にわかったのです。心の目が開いたら、実際何処でも、そこに極楽浄土が「今」あるということがわかる。

そんなお話しを読みながら、

まさに私は、次ぎのための今、になっていたなあ・・・と。

谷口雅宣先生が、

時には感覚を優先させると良いですよ、とおっしゃっているのは、

そこに今あるものが、自分にとって意味があるかないか、必要か不必要か、のような、何もかもが手段になってしまうような生き方をせずに、もっと、そこにある美しさや不思議さや、面白さを見る心を育てなさいということなのですものね。

「今」与えられているものを、楽しみ、味わうことが大切ですよ。と

そうすることが、目にみえるもの、耳に聞こえること、などの奥にある、目には見えない、けれど、本当にあるものを、観る力となる。

そのような反省と、ユーモアが足らん!と言ってくれた息子のアドバイスをうけて、今年は、笑いのセンスを磨くのだ、と自分のテーマを決めました。そして、一番身近にいてくれる家族を大切にを、意識していこうと思います。

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一番大切なものは

今日は、お友達のお宅での母親教室に参加して参りました。

講師の先生の一言一言が、じわ~ん、じわ~んと響いて来て、涙がぽろぽろ・・・・。

子供の教育について

“一番大切な点は、父や母が「いかに生きるか」ということである”

そして、生きる上で最も大切な宝ものは

“「魂の清らかさと、心の平和」である”

“「魂の清らかさと、心の平和」などといっても、今日食べるものもないような生活であったらそうは言っていられないのではないか、と思う人があるかもしれないけれど、

魂の清らかさと、心の平和があったら、今日食べるものに困るというようなことには決してならないのである”

(記憶の断片だけで書いているので、言い回しが違っていると思います。ご容赦を・・・)

それから・・・・




“今年の新年祝賀式にでかけられる前、谷口雅宣先生が清超先生に「皆さんに何をお伝えしたらよいですか」と聞かれた時に、

清超先生は「ありがとう、と伝えてください」とおっしゃったのですよね。

健康の回復を祈ってくださったいるだろう、信徒の皆さんにありがとう、の意味もあるであろうし、ただただ感謝、ありがとう、をそのまま生きていらっしゃるのが清超先生でいらしたのですね”


さらに、その前年、最後にご出席された、新年祝賀式では、こうおっしゃったそうです。

“「○○を思ったから駄目だ~!」と思うのをおやめなさい”と

思うことは、押し殺さなくてよい

それ以上に、“ただただ、毎日、あなた自身をあなたの家族を祝福しなさい”

それでいいのですね。



それから、

“生長の家を知っている人、知っていない人、この人は活動している人、いない人、できている人、いない人、そんな分け目はない、

ただただ、すべて、誰もが、絶対に神の子なのです。”

私はずっと、そこを越えられないでいました。どこかに自分と相手の間に線を引いている。

でも、お話しを聞いているうちに、そんな自分もない、ただただ神の子である私と、神の子であるあなたとで一杯になって・・・・いきました。




感想もいえないくらい沢山、沢山でてくる涙は、多分

時々心の片隅で、ぽつぽつと

「何で私ばっかり、こういう役が回ってくるのだろう」とか

「いいなあ、ちゃんと色々考えてお役を受けられる人は・・・・私は引き受けておいて、後からつらいだの何だのと潔くない」とか

「私って、卑屈なことを考えるなあ、実はちっさい嫌な奴だわ」とか

「しんどいなあ・・・もうやめたいなあ」とか

そんな、心にたまっていた、人にはいえない、でも自分でもみたくないようなつぶやきが、ぽろぽろぽろぽろと、こぼれて落ちていったのではないかな~と思います。

沢山泣いたら、とってもすっきり。

マイナスの感情は、

感動の涙と一緒に流してしまうのが一番すっきりするのかもしれませんね。

そうそう、結婚当初は、主人に、すがりついて泣いていました。

優しい主人はいつも、受け止めて下さいましたが、いつの日からか、




このままではいけないなあ、自分で昇華できるようになりたいなあ。主人の前では、笑顔でいられる妻でいたい

と思うようになり、




でも、しばらくするとたまってしまって、やっぱり泣いて、を繰り返し・・・

誰もいない時に、お仏壇の前で聖経をあげながらとか神想観中に泣けて仕方なくなると泣いて泣いて、

そんなふうに、鬱々とした気持ちを、心からはき出すこと事態を孤独な気持ちになってしまったり・・・

心はコロコロ

色々ですが、

みんな、それはそれでよくって、そのままで神の子で、素晴らしいのですね。

今は今の過程を味わって、よろこぼう!

無限に生長できるって、嬉しいなあ。

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伝えたくって・・

誰かに伝えたい、と思ってきました。

私は沢山の智慧と愛を頂いて、何度も何度も許されてきたから。そして、もう少し成長するのを、いつも待ってくださる人がいた。

これをもらいっぱなしでかかえたまま、卒業してはいけないって、思ったの。

私が教えてあげられることが、そんなに沢山あるわけじゃあないけれど

私が何度も何度も繰り返し経験して、「もう二度とやりたくない」なんていいながら、やっとそれなりにできるようになってきた事務局の仕事とか、

馬鹿みたいにお役は何でも受けることでどんなに大きな幸せが頂けるか、とか。

それからそれから、受けたらそのお役を全力で生きようとすると、できてなくても、そうしようとすることがとっても素晴らしいのだということ。

ちょこっとだけ環境についての知識

許し放つ練習、愛する努力

う・・・ホントにあんまりない。でも伝えたいのです

そんな気持ちがあふれてきて仕方ない

本当は、愛は与えるだけで完成されるというけれど、

貴方が「拝」とうけてくれるので、喜びは倍になります。

受けてくれる人がいるってありがたい。本当にありがとう

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息子のお陰

本を渡すことができたのは、実は長男のお陰です。

夏の生長の家の練成会でジュニア友の会に入ります。と決意した長男くん。それまでしばらく、中学生の会であるジュニア友の会には1人も会員がいなかったのですが、練成で友達になった子をさそって4名で始めました。帰ったら他の子にもメールしまくり、さらに2人ジュニアの仲間にしたらしい。それだけでもビックリなのに、練成で人が少なかったから、冬には沢山にしたいと、過去の名簿を青年会の人にもらい、電話するという。200名以上いる名簿をみて、全部かけるのは大変だな~と実は私は思ったのですが、彼はなんと大喜び。「これだけ電話したら、きっと沢山来てくれるよ、だって、10人かけて1人きてくれたら、20人だもんね、お母さん」という。

担当の方に自分がかける相手を割り振ってもらって、長男は20数名の人にかけていました。実は電話が好きではなく、要領がよいので、いつもあれこれ理由をつけて、自分ではかけないで、6年生の妹にかけさせていたのを見ていた私は大いに驚きました。ちゃんと、電話のかけ方のマニュアルを作ってくださったので、それに忠実にかけていて、段々上手になっていくのがわかる。そして、とても礼儀正しい。

まだ予定がわからないという方には、「では、○日に又お電話させて頂きます」といい、必ずその日にかけるのです。そして、決められた報告日には細かく報告していました。

何人か、行ってくれることになり、中には車いすでいくので駐車場は確保できるのか、などという質問もあったのだけれど、自分で中学生の担当者に問い合わせ、車のナンバーなどを教えて欲しいと言われると、その旨、相手のお母さんに伝え、この部分は大人の方がいいかな~と相談してくれるので、「青年会の人」として電話をかわりました。こんなことまで配慮できるのかと又驚く。

目標は30名だったのですが、数日前になって10名程度の中学生が来て下さることになりました。そんなある夜、11時頃、突然2階から降りてきて(うちの就寝は10時です)、「お母さん、○○くんいかないかな?」と保育園時代の幼なじみの名前を言う。こんな時間まで、誰か誘える人がいないか考えていたんだな~とびっくりしながら、「じゃあ明日電話してみたら?」と言い、翌日かけたら、まだ予定がわからないとの事。その返事をもらうまで、「いけるかな~いけるといいな~」というので「そういう時は返事をもらうまで相手の人を祝福するといいんだよ。聖経をあげるとか」というと、仏壇の前で聖経を読み始めました。長男くんは、妹たちと私が神想観をしていても、僕は僕、というふうだったので、こんなに素直に行動に移す彼にまたもや驚きでした。

結果、幼なじみの彼もいけることとなり、おまけに?私の友人でもあるその子のお母さんも参加してくれることに。まさに、長男のお陰で誘えたのでした。

教区大会当日、16名の中学生が参加してくれ、一番前の席で受講。終わった後には、誘った中学生の友達4名がジュニアに入りたいと言ってくれて、又仲間が増えたと喜んでいました。

彼の躍進は続きます。次々とアイディアを出す彼は、ジュニアのHPを作れないかと言い出し、主人が試しにブログを書いてみるかと教えると、書き始めました。(でも私には見せてくれませんが)で、青年会のブログにも書き込みを始めました。その内容がとっても前向きで素晴らしい。

中学生といったら部活でしょう、と思ったけれど、部活も入らない。やりたいことがないと言っていて、何が一番やりたいかときいたら、ゲームがしたいといった長男でした。じゃあ1週間、死ぬほどゲームしてみなさいといったら、本当にゲームをしまくって、「まだまだやりたりない」という子で、ある意味すごいと思ったり。不安になりやすい心をうち消すように、う~ん、能力はある、いつかは何か一所懸命やりたいと思うことがみつかったら、誰よりも頑張る子だ、と信じていこう、それまでは私がまず一所懸命やればいいと思いながらやってきたけれど、こんなに一所懸命できる長男に、あらゆる面で、ハッとさせられ、自分の姿勢を反省し、その素晴らしさに感動させていただきました。彼が赤ちゃんの頃から知っている青年会の仲間は、長男のあまりの変化に、私と同じように驚き、思いっきり、讃嘆してくださいます。

私も、彼がただただ、来て欲しいと誘っている姿をみて、私も相手の反応を想像して限定してしまわずに、ただただ祝福しようと素直に思えて、そして、今日、生命の実相を渡せたのです。

今日、電話していたら、私の前に立って、ニコッと笑うので、なんだろ~と思ったら、長男の方が背が高くなっていることがわかりました。

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ありがとう

まだまだ課題は沢山あるけれど、あきらめないでよかった

続けていて良かった

光のみをみてすすめと教えて頂き、それができない自分に泣いて泣いて、祈っても苦しくて

こんなに苦しいならいっそやめてしまいたい、そんなふうに何度も思ったけれど

苦しみってずっとじゃないんだ

光を観て・・・観られなくても、その努力を続けて、決してあきらめなかったら、

ちゃんと、明るくなってきた

それがどんな小さな光でも、尊い尊いものだとわかる、

讃えよう、見過ごすまいと思う

神様、私の心が相手の本当の姿をみることができるように、どうぞ神様、私をお導きください 

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祈るとき

・・・・・迷うとよく祈っている

目は閉じていて、手も合わせているけれど、

何かをグっと掴んで祈ってる

それを離そうと思うと涙ばっかりでてきます

ナイものはないのだから、涙と一緒に消えてしまえ~!

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何とかしなくては、と思うのはやめよう。・・・・そう決めたのに、何となく苦しい

自分が何とかできる立場にいないということは

決まったことに素直に従いなさいということなんですよね

悪くしようと思っている人はひとりもいない、みんな、みんな、よくしようとやっているんだよ

そうあなたはいいました。

わかっているけど、だからって黙っていられない、って思ってた

わかっているけど、何とか出来る貴方は何で何もしないの?って思ってた

そんな風に思う私が間違ってるってことはわかっている

何もしないんじゃなくて、自分のすべきことをしたらいいってわかっている

きっとよくなる、って信じて、待てる貴方はすごい

自分では一所懸命のつもりだったけれど、

実はちっとも素直じゃなかったんだなあと思う

素直に「拝」したいと、そればかり思ってきたつもりなのに

全然してないじゃありませんか、と気付いてボーゼンとしてしまいました

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うれし~!♪

嬉しい電話が入りました。

わが中学校の家庭教育セミナーで、光明実践委員のIさんが講演してくださることになりそうです。

推薦してくれたのは、昨年、子ども会の役員としてIさんの講演をきいたHさんでした。Hさんは結構デリケートな方なのですが、Iさんの講演をきいて、気持ちがゆったり楽になったそうです。とっても良かったので、もう一度聞きたいといって、成人教育部会で推薦してくれたそうです。

「神の子」というコトバこそ使いませんでしたが、人間はどんな人でも本来すばらしのだと話されていました。本当に良いもの、素晴らしいことは、誰にでも受け入れられるので当然なのですが、私が執行部として提案してそうなるより、何かとってもとっても嬉しいのです。

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僕が部長になれるまで

春休みの生長の家の、小学生の練成会。長男も部長をさせていただきましたが、今回、20名以上の中高生がお手伝いにきてくれました。

その中に、初めて部長をやってくれたIくんがいました。練成会では、小学生の参加者を10数名ごとの班に分け、そこに一人ないし数名の中高生についてもらいます。彼らは小学生と寝起きを共にし、一緒に行事をうけながら、お世話させていただくのです。

その彼、Iくんは、見た目だけでも素朴で真面目で素晴らしいのですが、地元でお世話されているHさんから、お伺いしたお話しを聞いてより感動いたしました。

Iくんは、昨年冬休みの中学生練成会に参加。感動して「今度は小学生の部長をやりたい」と言っていましたが、何故だかこられませんでした。そして、今回初めて春の小学生練成会の部長さんをやってくれたのです。

何故先回こられなかったか、といいますと・・・・。

H青年は元々練成会へのIくんのお兄さんの送り迎えをしていらして、続いてIくんもお兄さんに続いて参加されたのですが、送って帰ると、必ず奥座敷に通され、お母さん、おばあちゃん、Iくん兄弟、Hさんで、机をはさんで座り、練成会の反省会をするそうです。(スゴイ!)そこで、Iくんは「部長をやりたい!」とご両親にお願いしたそうなのです。が、親御さんは「お前にはまだまだ早い!これからの生活態度をみて、やらせられるか決める」と止められたそうです。そこで、Iくんは、毎日神想観という生長の家の瞑想法を毎日実修し、頑張りました。その他、3ヶ月あまりの生活態度をみて、今回彼は部長をやるのを許されてでてきた、という事でした。

何でも簡単に許すばかりが教育ではないとわかっていても、そのさじ加減は、なかなかうまくできないもの。Iくんのご両親の姿勢に感服いたしました。そして、毎日の努力の上で、一切ボランティアである部長さんを2泊3日間、頑張ってくれたIくんを尊敬のまなざしでみつめました。彼には、「僕が部長になれるまで」という手記を書いて貰いたい~!そして、息子はじめ、青年の皆に発表したいと思いました。

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今日午前中の光実学習会のテーマは夢でした。

私の夢は、CO2排出=0の生活をすること。そう生活する人達の集まりに青年会がなっていくこと。日本がそういう国になること。そうなっていったら、物にも人にも、沢山の愛が行き届くようになるから、組織も運動も国も繁栄する他ないし、日本ができていったら、世界平和につながります~!。

きっと、エコハウスにも住めるようになる!大好きな土いじりもできる。

それに、誰にでも自然に伝えられる私にも~。

夜神想観を子ども達としていたら、 今朝、御講話を聞きながら心の中で盛り上がったのを思い出しました。

大きな夢を沢山もって、小さな事からやっていこう。

反省したのだから、今度は大丈夫。

表現上手になろう。思ったことを優しく楽しく相手に伝えることのできる人になろう~♪

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役をひきうけるということ

中学のPTAの執行部役員は3年任期。毎年6名の女性役員の中の2名が交代します。私はあと2年任期がありますが、来年度の役員さんを探し、依頼する時期がやってきたので、「この方に」と名前があがった方の所へ、役員皆で突撃家庭訪問をしてきました。「一度考えさせて下さい」とのお返事。当然の事ですが、それを見て私は「そうか~、即答しなくていいんだ~」と驚きました。

思えば、息子が中学に入学する数ヶ月前、まだ小学6年生の冬のある朝、玄関のインターホンがなり、出てみると、私の密かに尊敬するPTAの役員の母親代表さんともう1人の役員さんがたっていました。何事かと思ったら、突然「PTAの役員をやっていただけませんか?」とのお言葉。

その時の私の頭の中は・・・・私はもう子ども会の区の役員もやっていて、まだその任期は3年もある。それに、学区の子ども会を改善したいという気持ちもあるので、まだまだやるべきことが一杯あるのだ。いやあ、それは同時には無理でしょう・・・・・

そう考え、それをまず口にも出したのですが、あれこれ話しているうちに、もう1人の私が、いつの間にか「わかりました。お受けします」と答えていました。(笑)

大変な事を引き受けてしまったなあ・・・とそれから悩んだ私。いつもそうなんです。返答するときは、「こうすべきだ」という内なる声のようなものに従ってそうするくせに、答えた後、ず~んと悩む。そうそう、主人にプロポーズされた時もそうだった!「つきあって下さい」も何もなく、いきなり「一生ついてきて欲しい」とおっしゃった彼。一応、今結婚できる心境でも、状況でもないと説明してみたものの、はいと言わなくてはならないと、そういう気持ちになったため、その場で「はい」といってしまった。それから数ヶ月、うだうだうだうだ悩み続けたもんなあ・・・。ということは、14年前からあまり進歩してない訳?私。とそんな事をぐるぐる考えていました。

さらに、たまたま電話をくれた義姉に話したら、「役員は下の子でやるべきなんだって。そうしないと、あの人はやれると決められてこれからどんどん役がくるんだよ。最初の子でやるなんて!」と言われ、最後には「ご愁傷様」とのお言葉を頂いてど~んと落ち込みました。下には3人の子どもがあり、一番下はまだ小学2年生。私ってただのばかかもしれない~と、人のお役に立ちたいと願ったはずの高貴な私は陰をひそめ、ずど~んと落ち込んでしまいました。

実際始まってみると、私は人見知で、初めて人と話すのが苦手だったんだ!と気付く。さらに右耳が聞こえないので、座る席は相手の右手でないと会話ができない。それをいちいちお伝えする事が面倒だし、何度も同じ事を同じ相手にいうのも気がひける。半分きこえていなくても適当に相手にあわしてしまい、会話がかみあわなくなってそういう自分に疲れてしまうことなど、マイナスがいっぱいでてきました。

楽しいより何か苦痛になり、私って何でこんななんだろう・・・。理想ばっかり言うけれど、結局できないじゃん、な~んて思っていたそんな時に、こともあろうに、秋に開催される青年会の教区大会の副運営委員長をやってくれとの依頼がきたのです。

教区大会の当日その日は、私は子ども会の運動会。運動会は子ども会のメインイベントで数ヶ月前から資金集めや競技の段取りなどとても忙しい。無理だ、と思いました。

でも、又もや「うけるべきだ」と私の中の私が言います。「当日いけないんです」と言うと「それでもいいからやって下さい」と言って下さるではないか。もう断れない。「では受けさせていただきます」と言ってしまいました。

でも、その時点で教区大会の5ヶ月前。まだまだ時間はあるものの、外会場だとおっしゃるので、会場探しからのスタートでした。300名入るメイン会場+親子室+生命学園の部屋のある会場リサーチ、下見、見積もり、チラシ作成、運営委員の体制の決定、依頼、会議、会場との打ち合わせ、推進、等々、どうやってやったのかよく覚えていないけれど、でも、これらのことをすすめていくうちに、不思議と嬉しくて嬉しくて仕方がなくなっていくのがわかりました。

そんな私をみながら、もう1人の私が「私って生長の家の光明化運動が大好きなんだな~」と今更ながら感じるようになりました。

それに、実際忙しいから、大変だから、つらいのでなく、それに取り組む自分の気持ちひとつだということも実感しました。(知っていたはずなのですが・・・すぐ忘れてしまう)なにせ、この役がきて、さらに大変になったはずなのに、私の心は生き返ったようになってしまったのだから。

10月に教区大会が終わっても、来年の会場と日程を決めるまでお役は終わらないので、未だお役ご免にはなっていないし、教区大会終了後には、平和環境推進部という新設部の副部長も拝命して、役は増える一方です。

ばかになるより、大馬鹿者になれと、谷口雅春先生がおっしゃったお言葉をこのごろよく思い出します。私は本当の意味で賢い女というのになりたくて、一所懸命考えて完璧にやりたいと努力してきたけれど、その私だと考えてできないことは出来ないみたいです。どう考えてもできないと思ったけれど、やってみたら出来ない事はないんですね。考えてできなくても、「拝」と受け、真心を尽くすと決めて行動したら、損得のわからない馬鹿なヤツでもいいんだよね~と、ちょっと思えてきました。

思い浮かぶことをかこう、と書き始めたら収集がつかなくなってしまいました。損得勘定一杯の私と、理想を生きたいと願う私、の間をいったりきたりしていますが、自分の中の神様の声に従っていきようという意欲に溢れる私が、私は一番大好きです。

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素晴らしい新年の迎え方

2006年最後の日です。子ども達に「一年間健康で元気でいてくれてありがとうね、来年も素晴らしい年になるね。おやすみ~」と声をかけると、長男が「おかあさん、一番素晴らしい新年の迎え方を教えてあげようか」といいます。「教えて!」というと、「新年を迎える10分前に神想観(生長の家の座禅的瞑想法)を始めて、神想観で年を越したら絶対いい年になるよ。」と申しました。丁度、先日練成会で、合宿形式の勉強をしてきた所ではありますが、息子のコトバに、じ~んとしました。神想観では、本来ある良きもの、素晴らしいもの、明るいことのみを想念します。それが人や物や事の本質だからです。私は今、目の前に見えていることを改善したい、良くしたいと願って一所懸命やっているつもりでしたが、元々誰も、何事も素晴らしいのだということを忘れていたようです。

「1000の風になって」「ありがとう」「案山子」紅白を見ながら、何かとっても感動して涙がでてしまいます。良くなるしかなくて、良いことの途中の中に今私はいるのですね。

息子のアドバイスに従って、祈りながら新年を迎えます。雅史くんありがとう。来年もよろしくお願いします。

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水に字を書く人に

今日、生長の家の栄える会のお話を聞いてきました。「人生を楽しく過ごすには」というテーマの中で、仏教のコトバを紹介されました。

石に字を書く人と、 砂に字を書く人と、 水に字を書く人がいる。

悟りを得た人は、水に字を書く人だそうです。石に書いたら、しっかり刻まれ、何度も何度も心に反復する。砂に書くと消せるけれど、消すまで消えない。水は書いたと同時に消えていく。悪いことでなく、よいことだったら消えなくてもよさそうなものですが、石に書いてしまうとその良いことに執着してしまって、自由でなくなるので、水がよい。そうです。

どんな良いことも、「そうでなくてはならない」と思うと自分や誰かを縛って、悪になってしまいますよね。数日前にコメント頂いた「そのまま」でよいのでは?というお言葉と重なって、水に書いていこうと、素直がとりえな私は決めました!

もう一つ、教えて頂いたステキな詩があります

「目がさめてみたら、生きていた                                

生きるための一切の努力を忘れて眠りこけていたのに   

目がさめてみたら、生きていた    

劫初より一度もなかった    

さらっぴんの朝のどまん中に 生きていた」

劫初とは、宇宙創造のはじめのときの意味。私も、毎日をこんなふうに迎えていきていこう!

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