信仰

悲しみの奥にある聖地

・・・という題のashikabi様のブログで紹介されていた、竹内芳美さんのブログに感涙いたしました。

読ませていただいているうちに、涙とともに、様々な心の表面につもった汚れがさらさらと流れ落ちていくようでした。

今、与えられている

うまく表現できない自分がもどかしいのですが、誰かに伝えたいと思い、

ashikabi様、竹内様の了解を得て、ここにリンクさせていただきます。

ahikabi様のブログ

http://ashikabi.cocolog-nifty.com/blog/

竹内芳美さんのブログです。

http://here.3rin.net/


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自分がやろうとするからだ

沢山のお役が重なると、

肩がこる。疲れる。重い。

そんなふうに感じるのは、

自分がやろうと思っているから


あれとこれとこれとこれと、あれもやってこれもやって、

そう、考えるから




私がやるんじゃない

私はだただたさせていただくだけ

ひとつひとつ、今すべきことを、丁寧に

楽しもう

沢山の仕事を先の先まで頭で考えて、くるくるくるくるするよりも、

「今」

「今」

大丈夫よ

生かされている、私なんだもんね。

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毎日がすばらしい体験

今夜、電話がかかってきました。

父親の役割、というテーマで取材するひとを探しているそうでございました。

主人が取材を受けるかどうかはわかりませんが、

いろいろあちらから聞いてくださることに、返事をしている主人の言葉を洗い物をしながら耳をそばだててきいていました。

で「じぃい~~ん。」weep となるうっち~・・・




「40歳までは全然家にいられなかったので、妻まかせでした」

・・・・(私の心の声)確かにいなかったけど、私の話は沢山きいてくれたんですよ。

「ほとんど遊んでやっていません」

・・・・ちゃうちゃう、私は全く遊んであげなかったけれど、家にいるときは、いつも遊んであげてたよ、アナタ。

たぶん、思春期にはいった子供たちが煙たがったりしないかというような質問だったのだと思いますが。

「全然そんなことはないです。私がいないときに妻がお父さんのことをよく言ってくれるので」

・・・・・あくまで私を持ち上げてくれるのね貴方。(嬉涙)

なんとなく照れくさくて、

「隣で私がきいてるからね~」などと、言っていましたが、主人はそういう人なんです。


電話を切ってから

「体験なんて何もないしなあ(何もないと答えたらしい)」というので、

「ええ~?、だって、たあくんの喘息も完治したし、まあくんだって、すごくかわったし、全部生長の家のお陰だと思っているよ」というと、

「そう言い始めると毎日全部だもんな」といいます。

そうか、う~ん、その通りだ・・・・・

毎日体験じゃないか

なんてありがたいんだろう~。

やっぱり貴方はすごいよ。うん、すごい。

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今年のテーマ

知っていたけれど、改めてが~んとしたお話しです・

今はお亡くなりになりましたが、

徳久先生がまだ岡山医大におられたじぶん

医大の研究室に勉強しておられて、自分の家から、岡山医大の研究室へいくのに自転車にのってでかけていくのですが、自転車にのるのは、これは手段だと思っていられた。

「今」を生きているんじゃあない。

研究室に行くために自転車にのっているんだ。自転車に乗っているのは研究室にいく手段。でも、研究室にいったら、研究するのが目的でなくて、これは、博士になるのが目的である。そうして、博士になったらどうするかというと、医者がよくはやって、金がもうかる。金をもうける手段に博士になるのである。金をもうけたら一体何をするのであるかというと、お妾でもこしらえるのである、という訳である。

(・・・・お妾さんは冗談でしょうけれど(^^;))

勉強するのも、博士になるのも、金を儲けるのも、皆、手段である。手段、手段、手段、という生活には、「今」がない。

「今」がすなわち生活で、「今」の中に永遠のいのちが生きている



徳久先生は、そう、気付かれてから、自転車にのって研究室へいくときも、前と世界が変わってしまったそうです。

前にはどんなに美しい景色が展開していても、ただ、しゃにむに自転車をこいでいるだけであって、そりゃあ手段であって、学校へいくためであった。「今」そこに展開している極楽浄土の状態を味わう心がなかった。

ところが、心が一転すると、「今」ここに、展開している極楽浄土が味わえるようになった。


美しい山々の曲線、白い雲のたゆとうている風景、美しい樹木の葉、みどりの葉が揺れている。それがみんな美しく、自分の為に展開してきて、世界というものはこんなに美しいものである。ということが本当にわかったのです。心の目が開いたら、実際何処でも、そこに極楽浄土が「今」あるということがわかる。

そんなお話しを読みながら、

まさに私は、次ぎのための今、になっていたなあ・・・と。

谷口雅宣先生が、

時には感覚を優先させると良いですよ、とおっしゃっているのは、

そこに今あるものが、自分にとって意味があるかないか、必要か不必要か、のような、何もかもが手段になってしまうような生き方をせずに、もっと、そこにある美しさや不思議さや、面白さを見る心を育てなさいということなのですものね。

「今」与えられているものを、楽しみ、味わうことが大切ですよ。と

そうすることが、目にみえるもの、耳に聞こえること、などの奥にある、目には見えない、けれど、本当にあるものを、観る力となる。

そのような反省と、ユーモアが足らん!と言ってくれた息子のアドバイスをうけて、今年は、笑いのセンスを磨くのだ、と自分のテーマを決めました。そして、一番身近にいてくれる家族を大切にを、意識していこうと思います。

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一番大切なものは

今日は、お友達のお宅での母親教室に参加して参りました。

講師の先生の一言一言が、じわ~ん、じわ~んと響いて来て、涙がぽろぽろ・・・・。

子供の教育について

“一番大切な点は、父や母が「いかに生きるか」ということである”

そして、生きる上で最も大切な宝ものは

“「魂の清らかさと、心の平和」である”

“「魂の清らかさと、心の平和」などといっても、今日食べるものもないような生活であったらそうは言っていられないのではないか、と思う人があるかもしれないけれど、

魂の清らかさと、心の平和があったら、今日食べるものに困るというようなことには決してならないのである”

(記憶の断片だけで書いているので、言い回しが違っていると思います。ご容赦を・・・)

それから・・・・




“今年の新年祝賀式にでかけられる前、谷口雅宣先生が清超先生に「皆さんに何をお伝えしたらよいですか」と聞かれた時に、

清超先生は「ありがとう、と伝えてください」とおっしゃったのですよね。

健康の回復を祈ってくださったいるだろう、信徒の皆さんにありがとう、の意味もあるであろうし、ただただ感謝、ありがとう、をそのまま生きていらっしゃるのが清超先生でいらしたのですね”


さらに、その前年、最後にご出席された、新年祝賀式では、こうおっしゃったそうです。

“「○○を思ったから駄目だ~!」と思うのをおやめなさい”と

思うことは、押し殺さなくてよい

それ以上に、“ただただ、毎日、あなた自身をあなたの家族を祝福しなさい”

それでいいのですね。



それから、

“生長の家を知っている人、知っていない人、この人は活動している人、いない人、できている人、いない人、そんな分け目はない、

ただただ、すべて、誰もが、絶対に神の子なのです。”

私はずっと、そこを越えられないでいました。どこかに自分と相手の間に線を引いている。

でも、お話しを聞いているうちに、そんな自分もない、ただただ神の子である私と、神の子であるあなたとで一杯になって・・・・いきました。




感想もいえないくらい沢山、沢山でてくる涙は、多分

時々心の片隅で、ぽつぽつと

「何で私ばっかり、こういう役が回ってくるのだろう」とか

「いいなあ、ちゃんと色々考えてお役を受けられる人は・・・・私は引き受けておいて、後からつらいだの何だのと潔くない」とか

「私って、卑屈なことを考えるなあ、実はちっさい嫌な奴だわ」とか

「しんどいなあ・・・もうやめたいなあ」とか

そんな、心にたまっていた、人にはいえない、でも自分でもみたくないようなつぶやきが、ぽろぽろぽろぽろと、こぼれて落ちていったのではないかな~と思います。

沢山泣いたら、とってもすっきり。

マイナスの感情は、

感動の涙と一緒に流してしまうのが一番すっきりするのかもしれませんね。

そうそう、結婚当初は、主人に、すがりついて泣いていました。

優しい主人はいつも、受け止めて下さいましたが、いつの日からか、




このままではいけないなあ、自分で昇華できるようになりたいなあ。主人の前では、笑顔でいられる妻でいたい

と思うようになり、




でも、しばらくするとたまってしまって、やっぱり泣いて、を繰り返し・・・

誰もいない時に、お仏壇の前で聖経をあげながらとか神想観中に泣けて仕方なくなると泣いて泣いて、

そんなふうに、鬱々とした気持ちを、心からはき出すこと事態を孤独な気持ちになってしまったり・・・

心はコロコロ

色々ですが、

みんな、それはそれでよくって、そのままで神の子で、素晴らしいのですね。

今は今の過程を味わって、よろこぼう!

無限に生長できるって、嬉しいなあ。

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伝えたくって・・

誰かに伝えたい、と思ってきました。

私は沢山の智慧と愛を頂いて、何度も何度も許されてきたから。そして、もう少し成長するのを、いつも待ってくださる人がいた。

これをもらいっぱなしでかかえたまま、卒業してはいけないって、思ったの。

私が教えてあげられることが、そんなに沢山あるわけじゃあないけれど

私が何度も何度も繰り返し経験して、「もう二度とやりたくない」なんていいながら、やっとそれなりにできるようになってきた事務局の仕事とか、

馬鹿みたいにお役は何でも受けることでどんなに大きな幸せが頂けるか、とか。

それからそれから、受けたらそのお役を全力で生きようとすると、できてなくても、そうしようとすることがとっても素晴らしいのだということ。

ちょこっとだけ環境についての知識

許し放つ練習、愛する努力

う・・・ホントにあんまりない。でも伝えたいのです

そんな気持ちがあふれてきて仕方ない

本当は、愛は与えるだけで完成されるというけれど、

貴方が「拝」とうけてくれるので、喜びは倍になります。

受けてくれる人がいるってありがたい。本当にありがとう

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息子のお陰

本を渡すことができたのは、実は長男のお陰です。

夏の生長の家の練成会でジュニア友の会に入ります。と決意した長男くん。それまでしばらく、中学生の会であるジュニア友の会には1人も会員がいなかったのですが、練成で友達になった子をさそって4名で始めました。帰ったら他の子にもメールしまくり、さらに2人ジュニアの仲間にしたらしい。それだけでもビックリなのに、練成で人が少なかったから、冬には沢山にしたいと、過去の名簿を青年会の人にもらい、電話するという。200名以上いる名簿をみて、全部かけるのは大変だな~と実は私は思ったのですが、彼はなんと大喜び。「これだけ電話したら、きっと沢山来てくれるよ、だって、10人かけて1人きてくれたら、20人だもんね、お母さん」という。

担当の方に自分がかける相手を割り振ってもらって、長男は20数名の人にかけていました。実は電話が好きではなく、要領がよいので、いつもあれこれ理由をつけて、自分ではかけないで、6年生の妹にかけさせていたのを見ていた私は大いに驚きました。ちゃんと、電話のかけ方のマニュアルを作ってくださったので、それに忠実にかけていて、段々上手になっていくのがわかる。そして、とても礼儀正しい。

まだ予定がわからないという方には、「では、○日に又お電話させて頂きます」といい、必ずその日にかけるのです。そして、決められた報告日には細かく報告していました。

何人か、行ってくれることになり、中には車いすでいくので駐車場は確保できるのか、などという質問もあったのだけれど、自分で中学生の担当者に問い合わせ、車のナンバーなどを教えて欲しいと言われると、その旨、相手のお母さんに伝え、この部分は大人の方がいいかな~と相談してくれるので、「青年会の人」として電話をかわりました。こんなことまで配慮できるのかと又驚く。

目標は30名だったのですが、数日前になって10名程度の中学生が来て下さることになりました。そんなある夜、11時頃、突然2階から降りてきて(うちの就寝は10時です)、「お母さん、○○くんいかないかな?」と保育園時代の幼なじみの名前を言う。こんな時間まで、誰か誘える人がいないか考えていたんだな~とびっくりしながら、「じゃあ明日電話してみたら?」と言い、翌日かけたら、まだ予定がわからないとの事。その返事をもらうまで、「いけるかな~いけるといいな~」というので「そういう時は返事をもらうまで相手の人を祝福するといいんだよ。聖経をあげるとか」というと、仏壇の前で聖経を読み始めました。長男くんは、妹たちと私が神想観をしていても、僕は僕、というふうだったので、こんなに素直に行動に移す彼にまたもや驚きでした。

結果、幼なじみの彼もいけることとなり、おまけに?私の友人でもあるその子のお母さんも参加してくれることに。まさに、長男のお陰で誘えたのでした。

教区大会当日、16名の中学生が参加してくれ、一番前の席で受講。終わった後には、誘った中学生の友達4名がジュニアに入りたいと言ってくれて、又仲間が増えたと喜んでいました。

彼の躍進は続きます。次々とアイディアを出す彼は、ジュニアのHPを作れないかと言い出し、主人が試しにブログを書いてみるかと教えると、書き始めました。(でも私には見せてくれませんが)で、青年会のブログにも書き込みを始めました。その内容がとっても前向きで素晴らしい。

中学生といったら部活でしょう、と思ったけれど、部活も入らない。やりたいことがないと言っていて、何が一番やりたいかときいたら、ゲームがしたいといった長男でした。じゃあ1週間、死ぬほどゲームしてみなさいといったら、本当にゲームをしまくって、「まだまだやりたりない」という子で、ある意味すごいと思ったり。不安になりやすい心をうち消すように、う~ん、能力はある、いつかは何か一所懸命やりたいと思うことがみつかったら、誰よりも頑張る子だ、と信じていこう、それまでは私がまず一所懸命やればいいと思いながらやってきたけれど、こんなに一所懸命できる長男に、あらゆる面で、ハッとさせられ、自分の姿勢を反省し、その素晴らしさに感動させていただきました。彼が赤ちゃんの頃から知っている青年会の仲間は、長男のあまりの変化に、私と同じように驚き、思いっきり、讃嘆してくださいます。

私も、彼がただただ、来て欲しいと誘っている姿をみて、私も相手の反応を想像して限定してしまわずに、ただただ祝福しようと素直に思えて、そして、今日、生命の実相を渡せたのです。

今日、電話していたら、私の前に立って、ニコッと笑うので、なんだろ~と思ったら、長男の方が背が高くなっていることがわかりました。

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ありがとう

まだまだ課題は沢山あるけれど、あきらめないでよかった

続けていて良かった

光のみをみてすすめと教えて頂き、それができない自分に泣いて泣いて、祈っても苦しくて

こんなに苦しいならいっそやめてしまいたい、そんなふうに何度も思ったけれど

苦しみってずっとじゃないんだ

光を観て・・・観られなくても、その努力を続けて、決してあきらめなかったら、

ちゃんと、明るくなってきた

それがどんな小さな光でも、尊い尊いものだとわかる、

讃えよう、見過ごすまいと思う

神様、私の心が相手の本当の姿をみることができるように、どうぞ神様、私をお導きください 

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祈るとき

・・・・・迷うとよく祈っている

目は閉じていて、手も合わせているけれど、

何かをグっと掴んで祈ってる

それを離そうと思うと涙ばっかりでてきます

ナイものはないのだから、涙と一緒に消えてしまえ~!

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何とかしなくては、と思うのはやめよう。・・・・そう決めたのに、何となく苦しい

自分が何とかできる立場にいないということは

決まったことに素直に従いなさいということなんですよね

悪くしようと思っている人はひとりもいない、みんな、みんな、よくしようとやっているんだよ

そうあなたはいいました。

わかっているけど、だからって黙っていられない、って思ってた

わかっているけど、何とか出来る貴方は何で何もしないの?って思ってた

そんな風に思う私が間違ってるってことはわかっている

何もしないんじゃなくて、自分のすべきことをしたらいいってわかっている

きっとよくなる、って信じて、待てる貴方はすごい

自分では一所懸命のつもりだったけれど、

実はちっとも素直じゃなかったんだなあと思う

素直に「拝」したいと、そればかり思ってきたつもりなのに

全然してないじゃありませんか、と気付いてボーゼンとしてしまいました

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